Thợ rèn thích đọc sách của một tác giả người Nhật, ông có tên là Inamori Kazuo. Hôm rồi thợ rèn nhận được tin ông mới mất thọ 90 tuổi. Ở Việt Nam các bạn cũng có thể tìm những cuốn sách của tác giả một cách dễ dàng.
Nay có người bạn là một người Nhật cũng tuổi 80 gửi thợ rèn bài viết về tác giả Inamori, thợ rèn tạm thời lưu lại đây dưới dạng nguyên văn tiếng Nhật. Có thể vô tình bạn nào đọc được tiếng Nhật ghé qua, đọc được thì là chuyện tốt, còn không thì sau này vào dịp phù hợp thợ rèn sẽ dịch lại hoặc luận bàn về những nội dung này.
「楽観的に構想し、悲観的に計画し、
楽観的に実行する」
[講演日]2017年2月20日 盛和塾 尾張開塾式
(写真:Bloomberg / Getty Images)
慎重堅実な経営によって会社を安定させるだけにとどまらず、異分野への進出も含
め、「新しいことに挑戦する」「常に創造的な仕事をする」というフィロソフィも経
営者には求められます。
企業の安定は、往々にしてチャレンジ精神を喪失させてしまう原因になりかねませ
ん。しかし、現状に甘んずるということは、すでに退歩が始まっていることを意味し
ます。
経営者が変化を恐れ、挑戦するマインドを失ってしまっては、その集団はやがて衰
退の道を歩み始めることになります。つまり、経営者が現状に満足することなく、常
に変革と創造を行うことができるかどうかが、集団の運命を左右すると言って過言で
はありません。そして、その変革と創造の中心に位置するのが、経営者本人なのです
。
このことは、すでに成長した大企業だけの問題ではありません。今ここにおられる
皆さんの企業においても、皆さん自身が、旧来のやり方にとらわれたり、新しいこと
に挑戦する気概を失ったりしていないか、今一度反省し、確認していただきたいと思
います。
例えば、かつて成功したビジネスモデルに固執し、新しい事業展開をすることに二
の足を踏んでいないか。創業当初は経営者のトップダウンで迅速に行われていた意思
決定が、リスクを恐れるあまり決断が遅くなり、大きなビジネスチャンスを逃すよう
なことになっていないか。
もし、皆さんの会社においてそのような傾向が少しでもあるとすれば、すぐに是正
していかなければなりません。経営者自身が易きに流れようとする心を打破し、いか
に困難であろうと、常に創造的なことに挑戦していくような組織風土をつくることが
必要です。
ぜひ、変革を恐れず、理想を描き、その実現のために自ら先頭に立って挑戦する、
そのような経営者をめざしていただきたいと思います。
自分の能力を未来進行形でとらえる
また、そのように新しいことにチャレンジし、それを実現していくためには、「人
間の無限の可能性を信じる」というフィロソフィが必要です。自分の持つ能力を、現
時点で判断するのではなく、今から磨きあげることによって、それは限りなく進歩す
るものであると信じるのです。つまり、努力し、一生懸命チャレンジすることによっ
て、人間の可能性は無限に発展していくのだということを信じるべきです。
現在の自分の能力をもって、「できる」「できない」を判断していては、新しいこ
とは何もできません。たとえ今はとてもできないと思われるような高い目標であって
も、未来のある一点で達成する、と決めてしまい、それを実現するために、現在の自
分の能力を高める努力を日々続けていく。つまり、「能力を未来進行形でとらえる」
ことが大切です。
そのように未来進行形で自分の能力をとらえて、今から努力していけば、自分の能
力は未来にはもっと高いものになっていくのだということを信じるべきです。
これは、まさに、京セラが創業以来大切にしてきた精神です。創業間もない頃の京
セラが生産していた製品は、「U字ケルシマ」という、テレビのブラウン管に使われて
いた絶縁部品、ただ一点のみでした。この単品生産のままでは経営は不安定であるた
め、新製品開発や事業の多角化が求められました。ただ、当時の京セラに、そのため
に必要な技術の蓄積があったわけではありません。市場をかけずりまわり、お客様の
ニーズをお聞きしながら、ひたすら受注に努めていき、それを開発していくしかあり
ませんでした。
しかしながら、生まれたばかりの小さな会社に注文を出してくれるようなお客様は
、なかなかありません。引き合いをいただけるのは、どこの会社に頼んでも、「でき
ない」と断られたような、技術的に難しいもの、あるいは採算が合わないようなもの
ばかりでした。
そういうものでも、「われわれならできます」と言って受注し、設備も技術も人材
もない、まさに「ないないづくし」の状態から、全員で苦心惨憺して採算が合うよう
に製品をつくりあげ、納品していきました。
しかし、そのような挑戦の日々を続けることで、京セラはこの分野のパイオニアと
して、ファインセラミックスを工業用材料として確立させることができたばかりか、
現在では何兆円という規模を持つ産業分野へと成長させることができているのです。
また、培ってきたファインセラミック技術を核に多角化を図り、今では素材から部品
、機器、サービスに至る、広範な事業展開を実現しています。その根底に、「能力を
未来進行形でとらえる」という考え方があったのです。
楽観的に構想し夢を広げる
そしてもう一つ、誰しも不可能と思えるような、新しいことへの挑戦を、単なる無
謀なチャレンジで終わらせないためには、その進め方が大切になってきます。
私は経営者として、「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」とい
うプロセスで、創造的な領域での仕事を進めてきました。
新しいことに挑戦していこうとする場合、どうしても「それは難しい」と考えてし
まいがちです。それでは、なかなか始めようという気持ちになりません。ですから私
は、最初に計画を立てるときには、「これはできる」「これはやれる」と楽観的に構
想を練りました。しかし、楽観的に構想しただけでは計画はうまくいきません。実際
にそれを計画に移していくときには、構想段階で簡単に考えたことをもっと悲観的に
、そして綿密かつ緻密に練っていかなければなりません。
そして実行する段階になったら、また楽観的に「いや、これはできるはずだ」と言
って実行する。そういうプロセスで、私は仕事を進めてきました。
創業当時から私は、お客様のニーズに応じて、新製品開発や新市場開拓など、常に
新しいテーマを考えていました。そして、ある程度考えがまとまると、すぐに会社幹
部を集めては、みんなの意見を求めました。
そのとき、目を輝かせてうなずいてくれる人もいますが、私がいくら情熱を傾けて
話をしても、冷ややかに聞いている人もいるわけです。そんな人ほど、有名大学出身
の優秀な人でした。私は一生懸命に、全員がうなずいてくれるまで、さらに熱を込め
て語りかけていきます。ところが突然、その冷徹な人が、私の構想がいかに無謀であ
るかということを言い出すことがありました。
私は、大きな可能性を秘めた新しいビジネスについて、その着想を話しているだけ
のことですから、細部に至るまで検証をしたわけではありません。それだけに、彼の
否定的な意見のため、私の熱もその場の雰囲気も冷めてしまい、もしかしたら大きく
花開いたかもしれないビジネスの種が、芽が出ることなく終わってしまう、そんなこ
とが幾度かありました。
優秀な人は、なまじ豊富な知識があるばかりに、新しいテーマであっても現在の常
識の範囲内で判断してしまい、常に否定的なことばかり考えてしまうものです。私は
、そのような経験を経て、新しい構想を話すときには、頭のいい優秀な人間ではなく
、すぐに私の尻馬に乗って、情熱を燃やしてくれるような、少し腰の軽いおっちょこ
ちょいなタイプの人間を集めて話をするようにしました。
そのようなタイプの人間は、よく理解もしないうちから、「それは面白い。やりま
しょう」と私のプランに諸手をあげて賛同してくれます。ですから、私にしてみれば
気持ちがよく、構想はさらに夢あふれるものへと広がっていきます。
私は、新しいことにチャレンジし、それを成就させるには、そのように、まずは楽
観的に考える、ということが大切だと考えています。新しいことを成し遂げていくに
は、様々な困難が予想されるだけに、構想段階では、夢と希望を抱き、「やれる」と
信じることができなければ、挑戦しようという気にもなりません。そのために、まず
は超楽観的にとらえることが大切になるのです。
(写真/菅野勝男)
悲観的に計画し楽観的に実行する
ただし、そのまま楽観的に仕事を進めていっては、必ず失敗をしてしまいます。具
体的に計画を練る段階では、悲観的にあらゆる条件を徹底的に考え尽くさなければな
りません。そのために、ここで先ほどの冷徹で優秀な人を集めます。
私が構想を話すと、その優秀な人は「技術がありません、設備もありません」と、
次から次へとネガティブでマイナスな条件を並べてくれます。プロジェクトのリーダ
ーとして、私はそのようなマイナス要因をすべて列挙させ、一つずつ、その解決法を
考えていきました。そのようにして、改めて計画を綿密に練り直し、実現の可能性を
高めていきました。
そして、問題点をすべて洗い出し、シミュレーションを繰り返し、計画を完全なも
のにした後、実行段階では、また楽観的な人間に選手交代させ、計画を推進させまし
た。
新しいことを推進していくときは、往々にして予期せぬ障害が起こるものです。そ
のようなときに、悲観的になっていては、仕事が先に進まなくなるからです。たとえ
どんな問題が起ころうとも、必ず克服できるはずだと信じ、情熱を傾け、一途に計画
を推進していけるような楽観的な人材が、実行段階では必要となるのです。
第二電電における移動体通信事業、現在の携帯電話事業への進出が、まさにこの「
楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」ということの実践でした。第
二電電の創業そのものが、京セラにとってはまったく技術も経験もない分野への進出
でしたが、創業間もない頃に議論された、携帯電話の前身である自動車電話事業への
新規参入についても、当時誰もが無謀だと断じていました。
当時の自動車電話は、大きな送受信機がトランクに積んであり、受話器が車内に設
置してあるというものでした。また、通話料金も非常に高く、大企業の重役でもない
限り使えないサービスでした。
京セラはIC用セラミックパッケージを全世界に供給していましたから、「このまま
ICが小型化していけば、大きな送受信機もやがて1枚の小さなICとなり、受話器に内蔵
されるようになる。そうすれば普及が進み、何年か先には、必ず携帯電話の時代が来
るはずだ」と確信していました。
そのため、自動車電話事業が解禁になるとき、第二電電の役員会で、「必ず携帯電
話の時代が来る。今この分野に参入すべきだ」と主張しました。
ところが、役員の中にはNTT出身や郵政省出身など、通信事業の専門家たちが多く
おり、当時はまだ米国でも日本のNTTでも移動体通信事業が必ずしもうまくいってい
なかったこともあり、否定的な意見がもっぱらでした。
皆が猛反対する中で、1人だけ「いや、会長が言われる通り、それは面白いと思いま
す」と言った者がいました。幾分楽天的で、よくわけが分かっていないようではあり
ましたが、「私は賛成です」と言うのです。
総スカンを食っているところに、1人でも援軍がいたわけですから、私もうれしくな
って、「お前はいいことを言ってくれる。みんなが反対してもいい。俺とお前の2人だ
けでやろう」と言いました。多数決でいけば、私の案は否決だったのかもしれません
が、第二電電の移動体通信事業は、こうしてたった2人が「楽観的に構想し」、「やろ
う」と言ったことから始まったのです。
そして、いざ事業を計画する段階では、選手交代して悲観的に考え尽くさなければ
なりません。
実際に、参入すると決めた当初から大きな壁にぶつかりました。第二電電に続いて
日本道路公団・トヨタ系の日本高速通信も移動体通信事業に参入を表明し、使用でき
る周波数帯の割り当ての関係から、同一地区ではNTT以外に1社しか営業できません。
私は、日本列島を単純に東西で分割して抽選によって決める方法を提案しましたが
、相手は首都圏は巨大市場だからぜひほしいし、中京圏は地元なのでどうしても譲れ
ないと主張します。一方、郵政省は抽選などは許されないということで、話し合いは
平行線のままでした。
このまま角突き合わせていたら、迷惑をこうむるのは国民だと思った私は、自分が
引けば万事収まると考え、相手が望む首都圏と中京圏をあえて譲り、それ以外の地域
で事業を行うことで合意しました。
そのことを帰って第二電電の役員会で報告すると、ソニーの盛田さんやウシオ電機
の牛尾さんから「まんじゅうのアンコは人にあげ、皮だけをもらってきたのか」とあ
きれられました。
私はそれに対して、「負けて勝つという言葉もある。全力を尽くして、その皮を黄
金の皮に変えよう」と答えました。
私は当時、決してダメ元でそのように言ったわけではありません。その不利な条件
で合意する前に、私の頭の中ではすでにある程度のシミュレーションができていまし
た。
成功の見込みがあれば進んで貧乏くじを引く
すでに参入した長距離電話回線という軸に、ローカル網となる携帯電話会社を北海
道、東北、北陸、近畿、中国、四国、九州、沖縄と「ぶどうの房」のように全国につ
くっていく。そうして長距離からローカルまでNTTの加入電話に依存しない一気通貫
の通信ネットワークを形成することでNTTに対抗していこうという戦略です。
その戦略に立ち、できるだけ悲観的に計画していきます。つまり、ドル箱である首
都圏と中京圏というまんじゅうのおいしいアンコを人に譲ったとしても、この事業は
成り立つのかを綿密にシミュレーションしていくわけです。そして、その悲観的な計
画に立っても、なお事業が成功する見込みがあればこそ、進んで貧乏くじを引くこと
もできたのです。
こうして、悲観的に計画した後は、また楽観に戻ることが求められます。「こんな
不利な状況では勝てるはずがない」と思うのではなく、「国民大衆のためにも、何と
してもこの事業を成功させなければならない。その我々の動機は善であり、私心は一
切ない。人事を尽くせば必ず天が助けてくれる」と純粋に成功を一途に信じることが
大切です。
(写真/菅野勝男)
実際に、この使命感をもとに楽観的に事業展開していく中で、首都圏と中京圏以外
の地域に設立したセルラー電話会社8社は、当初の心配とは裏腹に順調に業績を伸ばし
ていきました。また、圧倒的に不利な地域分割を克服して、首都圏・中京圏で事業を
行うIDOとの差を徐々に縮め、NTTに対しても想像以上に健闘する勢いを示しました。
このセルラーグループはKDDI発足を通じてIDOを加え、現在はauとなって売り上げ
4兆5000億円に迫るKDDIの事業の中核を支えています。これも、移動体通信事業とい
う新しい事業に挑戦するに当たり、楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行
するというフィロソフィを実践したからこそ、成し遂げることができたことだと思い
ます。
企業の発展は、常に新しいことに挑戦し続けることで可能となります。そのために
は、今お話ししたように、構想を練るときは、能力を未来進行形でとらえ、あくまで
楽観的に、計画を練るときは徹底して悲観的に、そして実行するときは、また楽観的
に取り組み、必ず達成させる。このようなプロセスが必要であり、それを統括するの
が、経営者なのです。
競争が激化し、それぞれの企業の独創性が問われる昨今、このように、常に新しい
ことに挑戦し、それを実現していくことは、今後経営者に求められるフィロソフィと
して、さらに大切になってくるはずです。